カーイの帰りを待つアレスたちの耳に、突然、村人たちの絶叫が聞こえた。
     アレスは本能的に剣を引き寄せ、マトリも険しい顔で剣に手を置いた。
     続いて炎を含んだ火矢の飛ぶ音が聞こえ、雄叫びと新しい絶叫が耳に届いた。
    「まさか!? ゲルニアか?」アレスは唇を噛み絞めた。
    「行くな、行ってはならん!!」
    「そうはいくかっ!」スクネの制止を振り切って、アレスは表に飛び出した。マトリもモーガンも武器を持ち、後に続いた。
     表に飛び出したアレスたちは愕然とした。
     奇襲の兵たちは村の外周の家から火矢を投げかけて退路を断ち、しかも風向きを計算して、炎が無駄にならないように風上の家から狙っている。これほど手際の良い奇襲はなかった。その様子から、相手が綿密な作戦に従い行動していることがわかった。藁葺きの屋根はすぐに燃えさかる。手をこまねいている暇はない。
     軒先に積まれていた葦の小駕篭が、兵士たちの足に払われ、崩れ散った。村人の悲鳴が響き渡っている。アレスは自分が『アシュワの傭兵』と名乗ったためにここが狙われたのだと思った。兵士たちの火矢は村人にも狙いをつける。放たれた火矢に老婆が貫かれた。
     アレスは目についた兵士から斬った。
     兵士たちは村人を一人残らず殺すつもりだ。マトリは群がる兵士たちを斬りながら、命令者の非情さを感じた。モーガンも叫びながら兵士に立ち向い、剣を大振りにして威嚇した。
     突然現われた三人に兵士たちはたじろぎを見せた。だが、それも一瞬のことで、すぐに三人に合わせて陣形を整えた。
     途端にアレスたちはバラバラに離され、各々が円形の陣に囲まれた。
    「手強いな……」マトリが関心するほどの手際だった。囲まれている間にも火の手は拡がる。
     上段に構え、アレスは叫びながら兵士の輪から飛び出した。マトリもモーガンもこの機を逃さず斬り込む。アレスは独楽のように身を回転させ、一瞬のうちに数名の兵士を蹴散らした。
     矢が狙っていた。モーガンを狙っている。弓の弦が弾けた。
    「モーガン!?」アレスの視界の隅に、矢を受けたモーガンがゆっくりと倒れていくのが見えた。 兵士たちが陣形を縮小させる。モーガンの体は、その中に見えなくなった。
     村は着実に破壊されている。マトリの心に焦りが過った。いくら斬っても形勢の逆転は考えられない。
    「アレス!!」
     その叫びは撤退を意味していた。
    「カーイがまだだ! あいつを置いては行けん!」
     殲滅部隊を指揮する女将アルテアの耳にも、その叫びは聞こえていた。
    「アレスだと?」
     その名に聞き覚えがあった。
    ---まさか・・・乱心の傭兵アレスか?
     アルテアには理解できなかった。この村とアレスとの関係は知らされていない。それに、皇帝に傷を負わした乱心の傭兵は、流刑地にいるはずだった。
    ---相手が誰であろうと、任務の邪魔立ては許せない。奴がそのアレスならば、それもよかろう。その首とってジュミレス様への土産にしてくれる。
    「何を手間取っている! 討ちとれーい!!」アルテアは女豹のように叫んだ。
     その叫びに、アレスとマトリを取り囲む兵士の輪が、みるみる幾重にも厚くなった。

     スクネは祈祷場で瞑想をしていた。
     この家にも炎が広がっていたが、意識を外界から断っている老人には、炎の熱さも、人々の叫びも、側で何が起ころうとも一切眼中になかった。
     老人は何かを察知した。こめかみがぴくりと動き、目蓋を見開いた。
    「間に合ったか……」老いた瞳に、希望の光が燈った。
     同じ時、突然、デッパの断崖の中腹が内側から弾け飛んだ。固い岩面が砕け散り、土煙りが舞い上がる。崖の腹にポッカリと穴が開いた。
     土煙りの中に、二人の人影が立っていた。巨漢のドワーフとカーイだった。二人は黒煙を上げるアシュワを見下ろすと、勢いをつけて断崖の斜面を滑り降りた。
     兵士たちは的をアレスとマトリに絞っていた。村は放っていても焼け落ちる。目障りな二人を片付けることが先決だった。
     天に昇る黒煙に混じり、火の粉が螢の大群のように舞っていた。
    「殺せ!」
    「この二人から片付けるんだ!」兵士たちは自らの気迫を上げるために、口々に叫んだ。
     包囲する兵士たちが迫る。
     その時、兵士たちは何か別のものの出現に気を奪われた。黒煙と火の粉に霞む、焼けただれた村の向こうから、大男の黒い影が突進してきた。
    「何事だ!?」動揺が兵士たちの間で駆け抜けた。
    「今だ!」マトリの合図に、アレスとマトリは同時に左右に斬り込んで陣形を崩した。
     さらに、飛び込んできた大男の太い腕が、一度に数名もの兵士を薙ぎ倒した。
    「ドワーフ……!?」
     すべての者が口を開け、その存在に驚愕した。
    「カーイが連れてきたのか?」アレスは横目でカーイの姿を探した。カーイの姿はない。巨漢のドワーフは兵士の襟元を軽々と掴み、兵たちの固まりに向け投げつける。飛んできた仲間にぶつかり、兵士たちはまとめて倒された。
    「援軍にしては上出来だ---」
     ドワーフは武器を使わなかった。逞しい体そのものが武器だった。俊敏に動き、兵士たちに攻撃をさせる隙を与えずに、次々と薙ぎ倒した。
     その頃、カーイは燃えさかるスクネの家に飛び込んでいた。
     燃えた屋根の梁が斜めに崩れ、屋根に開いた穴から煙りが逃げている。
    「スクネ! 爺さんいるんだろ!!」
     スクネが奥の部屋で自分を待っているのをカーイは知っていた。
     カーイが炎を避けながら踏み入ると、燃えさかる祈祷場の中に老人の姿があった。炎が二人の間で燃えている。
    「爺さん!」
    「カーイ、よく戻った」
     火の粉が渦を巻いた。
    「逃げるんだよ、爺さん!」
    「ここから出たところで、わしはもう寿命じゃ。カーイ、お前はアレスともどもフィベリアへ行け。ヴァルカンに逢うのじゃ。やるべきことは星々が指し示してくれるじゃろう」
     老人の言葉は静かだったが、あらがえない強さがあった。
    「う、うん」
    「龍から鱗を預かったようじゃな?」
    「うん」
     スクネは安心したように炎の向こうで頷いた。
    「これより、わしは最期の力を振り絞り、お前たちをここより逃す。だが、それにはお前の力が必要じゃ。よいの?」
    「ああ、どんなことだってやって見せるさ」
    「よい返事じゃ」
     スクネは炎の向こうから、眩しげにカーイの顔を見つめた。
    「兵士たちに見つからぬよう、お前は芦原へ逃れろ」
    「アレスたちも一緒じゃないのか?」
    「お前が逃れられれば、アレスたちも助かる。安心しろ。お前のいる所まで転移させる術がある。だが、お前が途中で見つかれば、それも使えん」
    「わかった!」カーイは力強く答えた。
    「芦原の安全な所まで辿り着いたら、龍の鱗を天に掲げろ」
    「うん、わかったよ」
    「よし。行けっ、カーイ!」
     少年は炎の向こうに死を覚悟した老人を見た。
    「急げっ!」
     カーイは燃えさかる祈祷場から飛び出して懸命に走った。
     ぬかるみを越え、土を蹴り上げ、ひたすら芦原に向けて駆け抜けた。少年は、その小さな体以上に大きな役目を背負っていた。
    「よい頃じゃ」しばらくの時間をよみ、スクネは静かに呟いた。
     杖を持ち、二度ほどその先で地面を軽く叩く。
    「天界の神々よ、その大いなる力をもって、我らの希望の使者に逃れの道を開け。我が命をここに捧げ、託したる望みをかなえん!!」
     その瞬間、言葉は力となった。脈々とした力が杖に蓄積されていく。
     スクネは力強く念を開放する。杖から閃光が迸り、輝きは光球となってゆっくり天井の穴から上昇した。
    「なんだ!? あの輝きは?」光球に気づいた兵士たちが驚きのあまり立ち尽くした。
     輝きは弾かれたように上空で三つに分かれ、それぞれがアレス、マトリ、ドワーフに向けて、尾を引きながら落下し、三人の体はつぎつぎと輝きに包まれた。
     不思議な光はさらに輝きを増し、中の者の輪郭もわからないほど、まばゆく輝いた。
    「どういうことだ……?」アルテアは驚きのあまり、その場に凍てついた。
     アレスたちを呑み込んだ三つの光球は不意に消滅した。
    「消えた……。この村はいったい……。このような術を目にするとは……」
     アルテアはジュミレスの命令の奥に隠された何かを、見た思いがした。

     龍の鱗は天に向けて掲げられていた。
     芦原の中に立ち、カーイはスクネに言われたとおりにした。
     少年の前で突然閃光が迸り、身を屈めたままの姿勢で三人の男が転がり出た。
     アレス、マトリ、ドワーフの三人は空間から湧き出したかのように、忽然と芦原に現われた。三人には、自分の身に何が起こったのか、わからなかった。
    「俺たちは……どうしたってんだ?」アレスは身に起こったことを理解しようと辺りを見渡した。芦原の中だ。カーイが立っている。船酔いに似た吐き気がする。頭が少し、重かった。
     同じく、頭を押さえながら気づいたマトリがカーイを見つけた。
    「カーイ……。お前どうして?」
    「スクネの言ったとおりにしただけさ」
    「お前の力なのか?」アレスが訊ねた。
    「違うさ。スクネがやったのさ」
     ドワーフは優しい目でカーイを見ている。モーガンがいないのにカーイは気づいた。
    「モーガンは?」
    「やられた」アレスが短く答えた。
     それ以上は、誰も何も口にしなかった。芦原の遥か向こうに、黒煙を上げているアシュワの村が見えた。
     芦原は静かに揺れている。ドワーフは別れを告げるように断崖のデッパを見上げた。
    「行こう。フィベリアへ」
     カーイはそう言うと、芦原を歩み出した。

     断片的に残る異なった伝承は、一つの大きな戦いの歴史を、アレスたちの前に明らかにさせた。天界の神々の裁決から始まった闇の神の干渉は、今再び、この世界を暗黒の闇で覆い尽くそうとしている。邪悪神グルと、神々から遣わされた天界の下僕との戦いは、たとえ三百年という時間を隔てても、終決を迎えることなく続いていたのだ。
     精霊の血を継ぐ者たちの使命は余りにも重く、それは否応もなく、アレスの避けられない運命を呼び覚ますこととなった。
     闇を司る神、邪悪神グルの伝承は、タミアラ、ブディド、カーン、そしてアシュワと、時を越え、語り部を変えても一層の凶悪さを増し、底知れぬ邪悪さを伝えている。
     かつて、三体に分けられた邪悪神グルの鼓動は、再び大地を闇で蹂躙するために、今、一つに戻ろうとしていた。
     ウビロスの暴君、フヒド=ワラーに憑依し、そして今、封印を破り、ゲルニアの皇帝チャロナに憑依したグルの魂は、さらなる力を取り戻すがため、残る二つの魂を求め、邪悪なる脈動を拡げていた。

    『ブランディッシュ・アレス 呼び覚ます運命』 完