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■千代

【タイトル】 黒ウサギの記憶
【作者】 千代

 長い長いかくれんぼが終わった。
 結果としてはレンの負け。
 見つかって悔しくなかった事も含めて、
レンの負け。
 勝てない事はただ悔しいだけだと思っていた。
 けれど、時には負けてしまうのも
「……意外と悪くないものね」
「? 何か言った、レン?」
「ううん、エステル。あのね、クロスベルを出る
前に、一つだけお願いがあるの」

 おじいさんの家や《結社》に置かれたままの
ぬいぐるみはいっぱいある。
けれど、気がつくとずっと一緒にいたその子
だけは連れていきたかった。
「その子、前に会った時にも連れてたわよね」
「《パテル=マテル》はどこに居たってレンが
呼べばすぐに来てくれるけど、この子はそうは
いかないでしょう?」
「そっか、特別なんだ」
そう言って、エステルが笑う。
『特別』。
確かにこの子はレンにとって『特別』なんだろう。
この子はきっと、パパとママに愛されていなかった
という事を否定するために縋っていた、レンの心の
奥底の、未練のかたち。

  パパたちと離れるその時、レンはちゃんと
気付いていた。
パパとママが生活に苦しんでいる事。
その為に一緒に居られないんだという事。
だから、信じて待っていようと決めた。
パパとママは、その時にはそんなものを買う余裕
さえなかった筈なのに、レンに白いドレスと
黒いウサギのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。
その子を抱いて、レンはパパとママが迎えにきて
くれるのを待った。
けれど、レンを迎えにきたのは悪い大人たち。
レンはただ環境に応じて自分を繕いながら、
じっとパパとママを待った。
助けてくれたのは、ヨシュアとレーヴェだった。
そしてレンは、パパとママを待つのをやめた。
《結社》にいる間に偶然二人を見つけて、自分は
売られたのだと知った。──ううん、正確には、
そう思い込んだのだ。

 それでも、それからもずっとそのぬいぐるみは
手放せなかった。
パパとママに貰ったあの子は、《楽園》に
連れられた時になくなってしまったのに。
《楽園》の中でも良く似た子を見つけて、
だから忌まわしい記憶も同時につきまとうのに。
《結社》に入ってからも同じぬいぐるみを手に
入れて、それからはずっと一緒。
多分このドレスもそうなんだろう。
レンにとっての愛されていた記憶の名残。
その事からずっと目をそらしてきた。
だけど、今ならそれで良かったのだと思える。
何もかもを切り捨てていたら、きっとレンは
信じる事自体忘れてしまっていたから。
「そっか、だからレーヴェは……」
パパとママを見つけたその時、傍にいたレーヴェ。
彼はもしかして自分よりも、訪れるかも知れない
この未来の可能性を信じていたのかも知れない。
今となっては真意の確かめようもないけれど。

 腕の中のぬいぐるみを抱きしめると、中綿が少し
くたびれていた。
そろそろ治してあげなきゃ。
そんなことを思いながらレンを待つエステルと
ヨシュアのもとへ走った。


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